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 ※今回は文章だけです。読むのが好きな方はお付き合いくださいね。


                


中学生か高校生の時だか忘れてしまったが、

ある日学校から帰ると、家に桜文鳥がいた。

母が近所の奥さんTさんから、雛の一羽をもらったのだという。

「かわい~い!」

さっそくまだ雛あがりのその子を手に乗せると、その様子と似合わず、

プーンと強烈な香水の匂いがした。

ああ、なるほど。

「すっご~い匂いだねえ、この子は!」

「だって、Tさんのお宅から来たんだもん」と笑う母。

ゴージャスなバラの香りと文鳥の子というギャップに大笑いした。

Tさんは、母と同年輩だったが、とても華やかな人で、いうならばロココ調スタイルの好きな奥さんだった。

ヘアもタテロール巻き、ネイルもリップも赤。

Tさんからの頂き物は、バラモチーフのレースの敷物だったり、金の縁取りのあるバラの絵付け風のカップ&ソーサーだったり、とてもわが家では使用できないものだった。

何故なら、うちの父はお江戸の下町気質、母は、硬いまじめなイメージが売りの地方出身の書道教師というホームカラーだったので、家のインテリアも至って地味だったからである。

否、70年代の団地住まいのわが家には、インテリアなどという概念すらなく、

味も素っ気もないわが家にTさんからの頂きものは似合うはずもなく、

いつもタンスの奥深くに仕舞われる運命だったのである。



さて、そのバラの香水をプンプンに身に纏ってわが家へやってきた可愛い桜文鳥さんは、Tさんちで生まれ、Tさんが差し餌をしていたので、もうすっかり手乗りになっていた。

チッチ、チッチ、と可愛く鳴くので、チッチと名付けた。


チッチはいつも私の肩や手に止まっていた。

お風呂に入る時も入ってきて、いっしょに湯船に浸かったことも何度かある。

お湯は鳥の羽根の皮脂膜をとるのであまりやらせなかったけど、

チッチは広い湯船に沈めた私の手のひらの上で、パサササササッッッッと気持ちよさそうに派手に水浴びをした。

チッチの体からは、ゴージャスな甘いバラの香りはだんだん消えてゆき、

いつのまにか、普通の文鳥の匂いになっていった。


そんな、チッチには、あるロマンチックな恋のエピソードがある。




チッチがもうお姉さんになっていた頃の話だ。

チッチは、毎日、部屋で遊ぶ時以外は、カゴごとベランダに出し、夕方頃家に入れていた。

ある日のことである。

いつものようにチッチのカゴを入れようとして、窓の外を見たら、

カゴの上に、文鳥が一羽いたので、びっくりした。

一瞬 チッチが脱走したのかとどっきりしたが、チッチはちゃんとカゴの中にいて、その子は別の文鳥である。

チッチより大きくて、全体的に色が濃く、くっきりとした印象だった。

特に赤い嘴と、首の黒いネクタイの部分が際立って、目立った。

明らかにオスである。

彼は、チッチのそばに行ったり、チッチのうえから何か言ったり、

まるでチッチのことを口説いているようだった。

こんなことってあるんだろうか?

きっと、どっかから脱走して来たに違いない、、、、

もし手乗りなら、つがいにするチャンスじゃないの?!

私は、そーっと、窓を開けてみた。

だが、そのオス文鳥はカゴから飛び立ち、しばらくベランダの手すりに留まったあと、

さーっと、団地の裏側の北の空へ飛び去ってしまった。

わくわくするような期待感も、泡のように消えてしまった。

「残念だったわね」と、母と話しながら、

もう2度とこのオス文鳥と会うことはないだろう、と、

私も母も思っていた。

















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※今回は文章ばっかりです。読むの好きな人は、お付き合いください。




今朝(4月12日)TVを見ていたら、漆の村Nの、道の駅が紹介されていた。

懐かしい。

Nには、何十回と通った。 

冬季オリンピックのメダルに、ここの漆が採用された頃のことである。

伝統的な漆と、それを展示する木の柱を複雑に組み合わせた現代的建造物とが、美しく融合するクラフト館。

1階には漆塗りの完成までの工程がわかりやすく説明されており、古典的な手法の大作家具から、椀や箸などの日用品に至るまで、多種多様な漆塗りが展示販売されていた。

2階には、1メートルくらいのブースごとに、漆作家たちの作品が紹介されていた。

アクセサリーや絵画、ガラスとの融合、コーヒーカップ、ワイングラスなど、従来の漆の固定概念を払しょくするような試みが目立った。

漆というとどこか古めかしいイメージしか湧かないが、ここを訪れて、その印象は少し変わった。

代々受け継いできた漆塗りの可能性を、新しいものへ広げたり、新しいデザインへと発展させたり、という試みが現在進行形で伝わってくる場であった。

当時、伝統工芸美術品の制作に携わっていた夫も、また個人的に日本の伝統芸術の一分野である習い事の教室を主宰していた自分にとっても、こうゆう新しい挑戦の「場」が町をあげて与えられているということは、芸術家や職人にとってなんと恵まれているか、という憧れの気持ちもあったように思う。

私たちにとって、ここは何度足を踏み入れても飽きることのない魅力があり、リピーターとなっていたのである。

道の駅のクラフト館の少し先には、K街道の最初の宿場町N宿があった。

N宿は、K街道の半ばにある有名な宿場町、M宿、T宿ほど賑やかではなく、観光地としても地味で、静かで、しっとりと落ち着いた宿場町である。

入口には大きくて立派な総ヒノキ造りの太鼓橋が復元されている。

あの、お江戸日本橋である。

大名行列の時には、プロアマ問わずカメラマンが袂に溢れかえる。

春彼岸の頃には燕がやってきて、橋の下に巣作りをする。

宿の軒には小さくてかわいいイワツバメがケンカをしながら、たくさん巣を作っていた。

桜が咲く今頃には、どのお店も桜湯を入れて、見ている客たちに振舞ってくれた。

山あいの、川沿いの、小さな宿場町、、、、、。

江戸時代と変わらない格子窓のある、間口の狭い、そして奥行きは限りなく長い家々が延々と軒を連ね、清涼な湧水のある共同水場は今も人々の生活に使われ、おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさん、まごたち、が、普通に暮らしている。
その中をそっと、旅人のわたしたちがお邪魔させていただいている、という感じのところ。

お店にはそれぞれの屋号が木の看板で掲げられており、薬屋さんには鐘馗様の像が、作り酒屋には新酒を告げる杉玉が、風情を出している。「越後屋」の看板の前では、どの観光客も約束したように「越後屋、おまえも悪よのう~」と芝居がかって立ち止まる。


そんなN宿を私たちは愛していた。

こじんまりとして、ほっとする、田舎の村。









そして、このNへの旅を語る時に、忘れられない強烈な思い出がある。


               


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